ホーチミン市の日本人街の歴史

ホーチミン市の日本人街の発展がなかなかすごい。
10年前はほんの数店舗だけが並んでいた1区のレタントン通りはその後、大きく発展を遂げて、日本食レストラン街となり、さらに変化が続いています。

そんなベトナム、ホーチミン市の日本人街の歴史を振り返ってみたいと思います。

10年ほど前、日本人向けのお店はけっこうバラバラに点在していました。
といっても数はそれほど多くないのですが、1区のレタントン通りに飲食店が数店、そのすぐ近くのゴーバンナム通りには日本人向けのカラオケ、シェラトンホテルの前あたりにはラーメン店、同じ通りに古くからある日本レストラン。

さらにそこから徒歩で3〜4分のところに同系列の鍋のお店とステーキ屋。

これがいつの間にか、日本人街といえばレタントン通りとなり、大通りには多くの日本食店が並び始めました。

当然家賃が高騰しどうにもならなくなってきたところで、脇道にお店が入っていきます。

最初は住宅街だったその脇道、わたしが住んでいるのは15Bレタントンというところですが、ここも今ではレストラン、バーなどが溢れています。

当初発展したレタントン通り沿い、つまり大通りは家賃高騰でレストランでは採算があわなくなってきたのか、いかがわしいマッサージ店ばかりになっているのがこの数年。

 

さらにカラオケ街だったゴーバンナム通りも査察が入ったことで店舗数は半減。
そこで働く女の子たちが流れ着いたのが、レタントンの脇道です。
ここにはカラオケ、ガールズバー、いかがわしいマッサージ店がひしめき合っています。

 

このエリアから車で10分ほど移動したところにファンビッチャンという場所がありますが、ここも第二の日本人街としてレストランが一時期増えましたが、主はレタントン通り近辺から奪えず。

南の方の7区、フーミーフンと呼ばれるエリアも日本人学校が近いという理由もあり日本人が増えてきていますが、お店としては韓国系が圧倒的に多く、日本系はあまり増えていません。

結局、このレタントンエリア周辺は様々のお店が集まり、日本語で対応もしてくれるため、便利すぎてここから抜け出せなくなる日本人が多発しています。

 

が、、、
このエリア、おそらく再開発の話が出てくるエリア。
そのときに日本人街はどこにいくのか?

ベトナムは土地の権利は50年の借地権なのですが、戦争後に付与された土地がそろそろ戦後50年となって借地権が消えます。
その時に延長となるのか、それとも再開発の良いキッカケとして権利延長なしとなるのか、今後数年のホーチミン市の不動産事情がかなり熱くなりそうです。